神社仏閣編
2008.06.04 乙巳の変の舞台を訪ねて(後編):石舞台古墳・飛鳥寺・甘樫丘
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前回からの続き)談山神社から峠を越え、降りたところに石舞台古墳がある。
ここから明日香の乙巳の変の舞台を歩く
















石舞台古墳公園

石舞台古墳の入口。
入場料250円ナリ

古墳の石組みが見えた









石舞台古墳

古くから、巨石(花崗岩)で作られた玄室が露出しており、その形状から石舞台と呼ばれていた。 玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道は長さ約11m、幅2.5m。石室内部に排水施設がある。 約30の石が積まれ、その総重量は2,300tに達すると推定されている。 石は古墳のかたわらを流れる冬野川の上流約3キロ、多武峰のふもとから運ばれた。
封土(盛り土)の上部が剥がされているため、その形状は、2段積の方墳とも上円下方墳とも下方八角墳とも推測されている。 また、一辺51mの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、さらに外提(南北約83m、東西81m)をめぐらした壮大な方形墳であるという。
外提の北西隅の外には刳坂(くりぬき)石棺を納めた横穴式石室があり、発見当初は陪塚(ばいちょう)であろうと推測されていた。 しかしその後の調査で西側にも7基の横穴式石室が見つかり、いずれも石室内が整地されていたことなどから、 石舞台古墳の築造にあたってはその周辺にあった古墳を削平し移行したと考えられている。
1933年(昭和8)と1935年(昭和10)に京都帝国大学(当時)の浜田耕作らが中心となり、発掘調査が行われた。 しかし、すでにほとんどの埋葬品が盗掘にあった後であり、石棺の欠片等が発見されるに留まった。 1954年(昭和29)から1959年(昭和33)にかけて古墳の復元整備事業が行われ、この時には外側の堀を掘るために上を通っていた県道が曲げられたという逸話がある。
『日本書紀』の推古天皇三十四年(626年)五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る。」とある。 大臣は、馬子のこと。 石舞台古墳は、蘇我馬子の墓であったとする説が有力である。 封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰とする説もある。
Wikipedia:石舞台古墳より)






















古墳で写真を撮る男性。
古墳の石の大きさが分かる。

石舞台古墳の近くに「はっさく売り」の無人販売所が

不死鳥に乗った神様が、消火のホースを持ったユニークな防火看板
















表に掲示された看板が楽しいレトロな看板があった

岡寺の鳥居














犬養万葉記念館。
万葉集の研究の第一人者であり、犬養節と呼ばれる独特の万葉朗唱とともに万葉集の世界を多くの人々に紹介した、犬養孝氏の数々の作品や犬養氏が万葉集を研究した時に収集した全国の万葉の風土に関わるものを展示


(↑)アトンおもちゃ館が提供している昔の映画のポスター

メガネが落ちた昆ちゃんの「おいしいですよ!」オロナミンCドリンクの看板 (→)





伝飛鳥板蓋宮跡

飛鳥板蓋宮で645年6月12日、乙巳の変が実行。 蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された。
この場所は、発掘調査の結果、何層にも渡って宮殿が置かれ、一番上の層が斉明、天智天皇の後飛鳥岡本宮と天武天皇の飛鳥浄御原宮、その下が皇極天皇の飛鳥板蓋宮(つまりまさにここが乙巳の変の舞台だった!)、さらにその下が舒明天皇の飛鳥岡本宮の可能性が高いと言われている。
まさしくここが飛鳥の「皇居」だったわけだ。
ここからは、土器や石敷き、建物、大井戸の跡が発掘されている。





石敷きの広場跡と言われる所

井戸の跡

伝飛鳥板蓋宮からの東方向の景色
















伝飛鳥板蓋宮の傍にこんな大きな木があった

飛鳥寺方向へ歩く

奥に甘樫丘が見えてきた
















飛鳥の田んぼ
















右奥が飛鳥寺

明日香村は田植えの時期。
稲が置かれていた










飛鳥寺

ここは蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺(仏法が興った寺という意味)の後身。
近年の発掘調査では、全盛期には東西200m、南北300m、塔や金堂と回廊がめぐらされた大寺院の可能性が分かった。
その後、法興寺は奈良に移転、元興寺となり、こちらは衰退いちじるしく、1196年には塔が焼失。
江戸時代には仮堂一宇を残すのみまで落ちぶれた。1825年、大坂の篤志家の援助で現本堂が再建。現在に至る。
7世紀初頭、鞍作鳥の作とされる国の重要文化財、銅造釈迦如来坐像(飛鳥大仏)が本尊として、飛鳥時代と同じ場所に安置されている。
この仏像は今分かっている日本最古の仏像である。
中大兄皇子と中臣鎌足はここで蹴鞠をしながら、蘇我入鹿暗殺の計画を練った






飛鳥寺の入口

本堂の絵
本堂















鐘があった

(↑)地蔵尊

蘇我入鹿の首塚。
入鹿は暗殺された後、飛鳥板蓋宮からここまで首が飛んでいったという伝説がある
(→)
















飛鳥寺近くから見た明日香村の風景

甘樫丘の看板

甘樫丘には階段で登る









甘樫丘

東西に数百m、南北に1kmほど広がっている。丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。
丘の北側に展望台があり、大和三山、藤原京などの風景を望むことができる。標高148m。
古くから誓盟の神(甘樫坐神社)が鎮座した。允恭天皇のとき、盟神探湯(くかたち)が行われた。
蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。
2007年2月1日、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている (Wikipedia: 甘樫丘より抜粋)












甘樫丘の展望台

展望台に咲いていた花















展望台からの橿原市街地

飛鳥川沿いから甘樫丘を見る

西へ歩いて近鉄橿原神宮前駅に到着。
近鉄の特急と普通。
右奥には橿原ロイヤルホテル









今回のコース
11:05 多武峰バス停〜11:44 談山神社入口(談山神社境内を回る)〜12:10 御破裂山登山口〜12:30 御破裂山〜13:00 談山神社境内に戻る(談山神社境内を回る)〜13:38 談山神社を出る〜15:15 石舞台古墳 15:35〜16:05 伝飛鳥板蓋宮跡 16:15〜16:30 飛鳥寺 16:35〜16:53 甘樫丘 17:06〜17:40 近鉄橿原神宮駅

<ルートマップ>


<参考資料>
K's PLAZA:犬養万葉記念館(http://www.kintetsu.co.jp/spot/spot_info/spot0000093.html
奈良大和路 by 飛鳥みわ:飛鳥板蓋宮跡:(URL
飛鳥資料館倶楽部:飛鳥板蓋宮(URL
Wikipedia:飛鳥寺(URL
春日野(奈良の土産物屋):飛鳥(6)飛鳥寺(http://www.kasugano.com/kankou/asuka/index6.html
飛鳥資料館倶楽部:飛鳥寺(URL


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